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戦争 [日々の出来事]

kenです こんにちは お元気ですかぁ


 やや重い話ですが、

 先日、タクシーのお客様で94のおばあちゃんに乗って頂きました。最寄りの駅までと仰ったので「電車でどこか行かれるんですか」とお聞きしたら、「戦後の混乱期に小学校の教員をしていて、その時の教え子たちが年に2回食事会を開いてくれるんです」教師になりたての頃、現在市場がある豊洲にその小学校はあったそうです。その教え子も82歳とか。教え子の中には既に他界した人もいるそうです。そんな話をしていて、「戦争中も東京にいらっしゃったのですか」と訪ねたら「門前仲町に住んでたんです」 そして私が「3月10日の東京大空襲の時にも門前仲町にいらっしゃったのですか」そしたら、その時の様子を詳しく話して下さりました「夜更けに警戒警報が出て、私は両親からの言いつけで弟を連れて海の方へ逃げました 途中何度も近くに爆弾が落ちてきたり、行き止まりで後戻りしたりで生きた心地がしなかった やっとたどり着いた所が永代橋の上 そこで明け方まで弟の手をしっかり握りしめてました その時は放心状態で周りは火の海 弟と一言も喋らず明るくなるのを待ってたんです」両親も違う場所に避難して一家4人は無事だったそうです。 その晩は死体はたくさんあったそうですが、丸焦げの遺体より、皮膚が残ってる遺体を見ると胸が張り裂けそうな思いになったとか。

 そんな話を一通り終え、タクシーが目的地の駅に着きかけた時、「こんな体験を教員時代には教え子に話すことは殆どありませんでした」なぜでしょう、体験した者でないと理解できないでしょうね

最後に聞いた言葉が心に突き刺さりました 「先の大戦では、世界中の大勢の人が亡くなったり、悲惨な体験をしてたのに、ここに来て ロシア ウクライナ イスラエル パレスチナと平気で殺し合ってる、情けない」94歳のおばあちゃんが嘆く 情けないと……  タクシーを降りて、杖を突きながら改札口に向かって、教え子が待つ銀座を目指して歩いて行かれました。

今朝のニュースで、イランがイスラエルに向けて多数の無人機やミサイルによる大規模な攻撃に踏み切った とか


 


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